リクエストにお応えして、(してねぇし) 全文を載せますね。
本人に承諾済み。
写真も撮る予定でしたが、目と耳に焼き付けておきたかったのでありません。
「みなさん、こんにちは!三泗本部、桜支部、常勝桜地区の松尾閃次朗です!
今日は元気いっぱい、発表させていただきます。どうぞよろしくお願いします!
僕は今、小学6年生です。小学1年生の頃から母に勧められて朝晩の勤行を毎日しています。
20分から1時間のお題目に挑戦しています!
低学年のころは、まだ何となくやっているだけの勤行でしたが、小学5年生の時、初めて真剣に祈る出来事がありました。
それは、毎年恒例の自然教室のことでした。
一泊二日で行われる自然教室は、低学年の頃から楽しみにしていました。しかし、天気が良くないとできないプログラムばかりで、雨が降ると全然楽しくない行事でした。
そこで僕は、1か月前から 「自然教室の二日間の晴天」 を真剣に祈りました。
しかし当日、窓の外は雨が降っていました。
それでもいつも母から、「どんなことが起きても、それは全部、意味のあることだよ」 と教えられている僕は、落ち込むことなく元気よく出発しました。
そして現地に着き、先生や友達もあきらめていたとき、勢いよく降っていた雨は小雨になり、やがてやんでいったのです!
「お題目の力はすごい!」
僕は驚きました。
2日目の朝からは、青空が広がり、太陽も笑っているかのようでした。
自然教室は晴天だったおかげでとても楽しく体験することができ、とても良い思い出になりました。
そして自然教室は無事終わり、小学校で修了式を行っていると、突然雨が降ってきました。
そうです。自然教室の行われている間だけ、晴れていたのです!
「祈った通りになる」 こんなうれしいことはありませんでした。
この時から僕は、「こうなりたい、こうしたい」 と思ったときはまず、ご本尊様にお願いをするようになりました。
そして、今の僕のお願い、夢は医師になることです。
小学校の授業で、世界には多くの病気で苦しむ人達がいることを習いました。
困っている人を一人でも多く救ってあげたい、そう思うようになりました。
その思いが強くなったのは、東日本大震災の時でした。たくさんの人が亡くなった中で、医師の数不足などで助けられる命がなくなったことをTVや新聞で知り、その人たちを僕の手で助けたいと思いました。
その夢に向かって今も勤行・お題目はもちろん、たくさんの本を読み、勉強もがんばっています!
池田先生が書かれた未来対話や小学生新聞も読んでいます。
その中で先生は、
「建物を建てるとき、土台だけを見ても上にどのような建物が建つかはわからないものだ。
また土台は、その上に建物が建てば、見えなくなるものです。それでも、建物を何十年、何百年にわたって支えていくのは、その見えない土台です。」
とおっしゃっています。
これからも家族の健康と幸せを祈り、周りの人への感謝を忘れず、何事にも負けないしっかりとした土台を作り、たくましい人に成長していきます!
本日はありがとうございました!」
あまりリアルには言えないこともありますが、もちろんフェイクもありません。
ネタばれすると( *´艸`) 医師になりたいきっかけは、
「金銭的に私を助けたい」 ことでした。 私ってみじめやったけ???
身体はこれ以上悪くしませんのでね。
また、「医者ってどのくらいの頭のレベル?」 と聞かれたときがあり、
「まあ、市内トップ校辺りでないと難しいやろね。あんたなら、できそうじゃね??」
などの話を数年前していました。それで決心もついたのでしょう。
自然教室の日は私も、空をチェックしていました。
しかしそんなに真剣に祈っているとは、知りませんでしたね

会合の無事故、晴天は祈ってきたことはありますが、行事の天気など、40年も生きてきて祈ったことがありませんでしたね


見本にならない親~(・´з`・)
そして雨でしたので、まあ、しかたない。くらいしか思ってませんでした(笑)
しかし、段々雨がやんでくるんですよね。そして、西の空から雲がはれていき、青空も見えてきたんです。
時間的に始まるころ!
鈴鹿山脈の近くなのでだいたい雲は多いんですよね。そこから晴れることは珍しいですし。
青空は徐々に広がっていき、私がいた場所の雨もやみました。
嘘おぉ♪(ノ)’∀`(ヾ)?? と、とても驚いたのを覚えています。
そこから、そこだけ晴れとるし~!
すげえ。と実際思いました。
幼児期はとても頑固で泣いたら最後、、周りの人がうるさい~と耳をふさいでも本人の機嫌が直るまでは泣き止みませんでした。
そういう時は母乳を上げながら嫌だった話を聞くことをしていました。代弁したり。
兄は好きでしたが歳の近い三男のことは、嫌っているときが多かったです。
今を見れば一目瞭然ですが、赤ちゃん時代はたいへんでした。
お昼ねは抱っこか車でしか寝ない子でしたので、毎日抱っこで昼寝をしていました。
4歳くらいまでそうでしたね。三男が生まれてからは、次男がオンブで寝て、三男は抱っこで寝る、そのうえ私も寝れるときは寝る。
ように工夫をしてきました。
そして寝起きが悪い一家。 そんだけ寝といて、何を怒ることがあるの??
と何度も思いましたが、いつからか私もかなり寝起きがわるいな。と自分を振り返ることがやっとできてきました。
次男を車で寝かせておき(冷暖房が要らない季節のみ)、三男の方がもちろん小さいので優先して部屋で抱っこしていると、
自分で起きて、部屋に戻ることもまだ嫌だったのでしょう。
「ママは○○のお世話を全然してくれない!!」(2歳代の時)
と解りやす怒っていました。
これも迷いましたが、放っておいて自分で戻れるくらいにするか、まだ甘えられるときは甘えさすか。
やはり母乳をあげていたので、私が楽をすることよりも子ども優先にしようと決めたことはよく覚えています。
「ごめんね。せんのお世話もきちんとするからね」
と、次の日から起きたら車に迎えに行って抱っこで部屋へ・・・
とすると、あっという間に機嫌は直り、よりいう事も聞くようになり、絆が生まれていった実感があります。
本当に頑固でしたし、私もまだ頑固さは残っていましたし、母乳という繋がりはありましたが、絆はどうか。という実感はまだまだなかったんです。
しかし今考えると、こんな簡単なことで、難しい子育てもがらっと変わるんですよね。
親の私も、「きょうだいは離して育てる」とか、「下が生まれたら上は保育園に行くのがあたりまえ。それが普通」
という世間のくだらない方法論に惑わされるんです。(これは岐阜でも言います)
しかし、また東北がでますが、私より2~3歳も若いママ友が、
「子ども1人も2人も一緒。保育園代が無駄」という言葉も、ずっと頭に残っていました。
私はそちらが正しいかもしれない。と思っていました。
理屈的にも確かに、一緒に居る時間が短すぎると、子どもの考えていることや行動が全然予測できないんですよね。
子育てスキルができないというか。
そして幼児期などはあっという間に終わりますね。
あっという間に終わるのですから、頑張れますよね。
しっかり育ってくると、あとは本人が勝手に伸びてくれますから。